NOCOの記録

違いを常に見分ける知恵がほしいなぁ

ドラマ・渡る世間は鬼ばかりは誤解されている

 

渡る世間は鬼ばかり…日本人の中年以降なら誰しも一度は耳にしたことがあるドラマだろう。

 

私は祖母の影響で、かなり長いことこのドラマを観て育った。

そう、渡る世間と言えば、とにかく長く続いたドラマとして有名だ。

1990年から断続的にシリーズが続き、2011年まで放送されていた。

 

このドラマについて、多くの日本人のイメージとしては泉ピン子えなりかずきがケンカしているラーメン屋の話』だろう。

 

このドラマは長く続いた割に、ちゃんと観たことがない人も結構いることでも有名だと思う。(特に若い世代)

そういう人たちの誤解を今更ながら解くべく、渡る世間の魅力について書こうと思う。

 

 

 

流行を取り入れるのが早い

このドラマの面白い点の1つに、世の中の最新の情報が、かなり早い段階で取り入れられるというのがある。

脚本家の橋田寿賀子先生の世の中へのアンテナがすごいのだろう。

 

例えば、ネットが流行り出した頃、ドラマでは登場人物の子供がネット上に小説をUPしたところ、評判になり出版されるという内容が放送された。

この回は2002年~2003年放送なので、かなり早い段階でネットの状況を取り入れていると言えるだろう。(電車男が2004年)

 

ちなみに、この子供は親と一緒に住めなくてピン子のラーメン屋で暮らしている孤独な少女だということも重要な点だ。

この頃から孤独な子供とネットとの距離は近くなったように記憶している。

 

他にも、老人たちがボケ防止のためにゲームセンターに行く話や、おやじバンドを結成する話など、かなり敏感に時代を反映した内容が多いように思う。

 

ビジネスドラマ(転職&起業)

1つの企業に定年まで勤めることが普通の日本で、これだけ転職&起業を繰り返すドラマ、しかも平成初期の時代には、この作品だけだったと思う。

 

まず、ドラマの主人公の五月(泉ピン子)の実家の家族について説明すると、父親の岡倉大吉は元々重役だったが、突然小料理屋の板前になる。

岡倉家は5人姉妹で、唯一五月だけがラーメン屋の商売をずっとやっているが、他の姉妹は翻訳家、一級建築士、旅行会社、保育園で働いたりと様々な職についている…そして、すぐに転職&起業をするのだ。

 

さらに、この五人姉妹のそれぞれの家族や親せきも、皆同じように転職&起業をしまくるのだ。

信じられないペースで人生を展開していく。

 

今となってはケータリングやキッチンカーなどは普通の仕事とし認識されているが、まだ世間ではあまり知られていない頃にドラマ内では登場していた。

 

このドラマの登場人物たちのように、自分の人生をガンガン切り開くガッツと体力があればいいのになーといつも思う。

 

途中から観ても大体わかる

このドラマは、キャストや脚本家が年老いて終わってしまっただけで、本当にいつも高視聴率だった。

高視聴率を長く続けられた理由として、昔ながらのファンを飽きさせない面白さと、新規の人がどこから観てもついていけるような内容になっていた事が大きいと思う。

 

登場人物が毎回セリフで今の状況を全て説明してくれるので、観ている側も「あーそういうことなのか」となるのだ。

私自身も毎週欠かさず観ていたわけではなく、時々観るのを忘れることがあって、その度に、このスーパー早口の長台詞に助けられてきたのだ。

えなりかずきが早口で何か話しているシーンを観たことがあると思うが、それがそうだ。

やっぱり橋田先生はすごい。

 

演者が突然亡くなった時の対応力

このドラマは長く続いたこともあり、途中で何人もの演者が亡くなっている。

その度に、脚本の変更によって上手く物語を続けていたと思う。

 

唯一不自然だったのは、五月の父親役の藤岡琢也が亡くなった時だけだ。

メインキャラクターだったため、どうしても代役が必要となった。

代役は宇津井健になったが、その時だけは、ドラマの冒頭で魚をさばく宇津井健の横に岡倉大吉と紹介があった。

 

生きることをリアルに肯定してくれる

このドラマが描いているのは、普通の人々の日常だ。

 

実際、私の記憶がたしかならば、最終回の最後のシーンは泉ピン子が普段通りお茶を飲んでいるだけだったように思う。

 

日常。

色々あって、楽しいこともあれば面倒なこともある。

子供が生まれれば嬉しくて最高の気持ちだが、その子が思春期になれば大変なこともあるだろう。

あれだけ頼りにしていた親も、老いれば今度は自分が頼られる番だ。

 

そういう日常は、もしかしたら今の時代に生きていると目を伏せたくなることかもしれない。

SNSで素敵な部分だけ切り取ってUPするような時代だ。仕方がない。

 

だから、こんなドラマ観たくないわー題名からして無理!と思う人もいると思う。

 

だけど、実はこのドラマはそんな日常を肯定してくれるものだ。

どんなことがあっても、それが日常だし気にすることないと教えてくれる。

このドラマは、深刻なシーンも全くドラマチックに描かず、淡々と進めていく。

人が亡くなれば悲しいが、葬儀はしっかり型通りに行われる。

誰かが離婚しても、その時は皆深刻な顔はするが、次の日には仕事をして嫌いな相手にはいつも通りに腹が立つ。

何か悩みがあっても、おなかはすく。

 

そういうことが淡々と描かれている。

もし、自分と登場人物の状況が一緒ならば共感をする人もいるだろう。

そして、救われる人もいると思う。

 

現実ってそうだよねと思わせてくれる。

ちなみに淡々と描いてはいるが、我々の日常と同じようにユーモアは存在する。

ユーモアがなければ乗り切れないことは人生結構ある。

なので、観ていて暗くなることはあまりない。

戦争を経験した祖母が毎週楽しみにしていたのも、そういう重苦しく無さが良かったのかもしれない。

 

今さらなんで『渡る世間は鬼ばかり』について熱く語っているのか自分でも分からない。

でも、何となく書きたくなったので書いた。

 

渡る世間は鬼ばかり 第1シリーズ(橋田壽賀子ドラマ)を観る | Prime Video